記録に残る一番古い右玉の棋譜はなんだろう? と思い立って調べてみたら、将棋DB2に1919年(大正8年)に指された右玉の棋譜が残っていた。
今から90年前にも右玉は存在したのだ!
これが右玉最古の棋譜というわけではないかもしれないが紹介したい。
90年前に右玉を指したのは、宮松関三郎八段。当時の段位は不明だが、Wikipediaによると1928年に七段ということなので、五段か六段だろうか? 将棋に関する著作もあり、駒づくりの名手でもあったらしい。
対する森永龍棋士については、ネット上でもほとんど情報がない。棋譜はそこそこ残っているのだが……。名前についても、森永 龍なのか、森 永龍なのかも微妙だが、「森 永龍(もり えいりゅう)」が正しいとのこと。
というわけで、棋譜は以下からどうぞ
1919-10-20 その他の棋戦森永龍 vs. 宮松関三郎 その他の棋戦
右玉 vs 穴熊の戦いに
戦形は先手の金矢倉に対して、後手が右玉!
繰り返すが、90年前の将棋である。
後手は、角筋を通し、8五桂と跳ねる積極的な仕掛け。
厳密にみると無理がある感じだが、迫力はある。
先手は8六銀と逃げる。この銀は逃げないほうがよかった。
これなら後手もやる気が出るだろう。
右玉、緩手で逆転
少し進んだ局面。ここまでは互角ながら右玉がやや良さそうだったが、次の一手で逆転する。
3七角成!
6四桂に同馬として守備を高める目的だろうが、角は攻めに使いたかったところ。
素直に7三銀と引いておいて、後手良しだった。
右玉最後のチャンスがこの局面。中央をめぐる争いをしているが……。
変化図1
8六桂と打てば、まだまだ戦えそうだった。
9七玉と逃げる手は7八桂成で勝ちなので、同歩と取るしかないが、
変化図2
先手も危険な格好に。正確に指せば先手がいけそうだが正しく受けないと一気に崩壊しそう。
本譜は5四銀と応援に回したが、先手の攻めが好調となる。
勝負が付いてから長い! 長すぎる!
先手が5四角と打って優勢から勝勢な局面。この時点で89手だが、ここからが長い!
先手の攻めはかなり正確だったので後手の受けもしっかりしていると言えるかもしれない。
粘りに粘って142手目の局面。ここは11手詰みがある。
短手数だが、意外と難しいのか見逃してしまったようだ。現代の棋士なら秒読みでも余裕だと思う。答えを書くので考えてみてほしい。
詰将棋正解
正解は、8四銀打(8四金打も可)!
本譜は9ニ角打だが、詰まない。9二銀も8四玉なら詰むが、9三か7三に玉が逃げれば詰まない。
8四銀打、同玉に6二角打! が好手。以下、7三銀、9四龍! 同玉、9五香、8三玉、9三金打、8四玉、9四金で詰み。
7三銀に変えて、7三桂打の場合は9五金打、同歩、同龍、8三玉、8四香で簡単に詰む。8二の銀が邪魔になるのだ。
一方、8四金打の詰み筋はこちら。こちらのほうが短手数なので筋はよさそう。
本譜は粘って168手まで指したが、8四香打で後手投了。
というわけで、90年前の右玉は負けになってしまったが、大正時代にも右玉があったことにロマンを感じずにはいられない。
また、これより古い右玉の棋譜をご存じな方がいらっしゃれば、掲示板で教えてもらえると幸いです。