ミギーが将棋をはじめたのは30歳を過ぎてからとだいぶ遅め。
高校時代の友人が将棋倶楽部24にはまり、それから自分も指すようになった。
もちろん、将棋のルールをまったく知らなかったというわけではなく、駒の動かしかたは知っていたし、矢倉という囲いがあることもなんとなくわかっていた。
そんなミギーが右玉と出会い、右玉党となった話を紹介したい。
将棋倶楽部24の高すぎる壁
当時のネット将棋といえば、将棋ウォーズや将棋クエストはまだ存在せず、初心者はYahoo!将棋、本格的にやるなら将棋倶楽部24という感じだった。
というわけで、ビビリつつも将棋倶楽部24へ登録を行う。
将棋倶楽部24では、最初に棋力を申告する項目があるが、控えめに14級にしておいた。
15級が駒の動かしかたを覚えた人、ということで問題ないと思っていたのだ。
しかし、将棋倶楽部24は初心者に甘くなかった。
なすすべなく、4連敗。
将棋倶楽部24ではレーティング(R)制を採用しており、強さの指針になるが、200から始まったRは急落してしまったのである。
藤井九段の本で四間飛車を勉強
「なにか戦法を1つ覚えなきゃな……」
と考えて、ネットで調べると藤井九段の「四間飛車を指しこなす本」の評判がよい。
というわけで、将棋の第一歩は四間飛車の真似事からはじまった。
「四間飛車を指しこなす本」で基本を学び直してから、再デビュー。
苦戦しながらもポツポツと勝利をあげることができ、R400台には上がれるようになっていた。
それでも、級でいえば12級。将棋倶楽部24のカテゴリ分けで言えば「低級」。
初心者をギリギリ抜けたというところだろう。
忘年会で「右玉使い」と出会う
そんなある日、当時所属していた事務所の忘年会で、周囲がわいわいと飲んでいるなか、ミギーは友だちと将棋を指していた。
そこに、「お、将棋ですか~」と仕事関係の知り合いであるZさんが話しかけてきた。
「Zさんも指しますか?」と聞いたところ
「ぜひ、おねがいします」ということで一局指すことに。
ミギーは唯一知っている四間飛車で挑む。
すると、Zさんは見たこともない陣形に。
「お、糸谷流右玉か」という声がギャラリーから漏れる。
糸谷流? なんぞそれ?
いま考えれば、一目見て糸谷流右玉とわかるギャラリーがいたことがすごいがそれどころではない。
攻めどころがわからないミギーはなすすべくもなく敗勢となり、そして投了。
「いやー、強いですねZさん、ネット将棋とかもやってます?」と聞いてみると
「24で2級です」と恥ずかしそうに答える。
「え? 2級!? すごいっすねー自分は12級ですよ!」
これは本心で、Rが1300を越える2級は雲の上の存在だった。
ミギー、右玉党になる
その後、話してみると、Zさんは根っからの右玉党。
ミギーはZさんを将棋の師とあおぎ、将棋倶楽部24のIDを教えてもらい、棋譜を参考にさせてもらった。
さらには、当時手に入りにくかった「右玉伝説」も頂くことに。
(現在は棋界に伝わる二つの秘法 雁木・右玉伝説で手に入るよ!)
そこからミギーの右玉人生ははじまったのである。